拷問と処刑
薩摩藩では「石抱き」という拷問が行われた。三角の割木を並べた上に容疑者を正座させ、幅30cm、長さ1m、厚さ10cm余、重さにして30kgの平たい石をひざの上に一枚ずつ重ね、体を前後に揺さぶる。石が5枚ぐらいになると足の骨は砕け絶命することもあったという。この拷問は一向宗信徒のほかにはキリシタンと主殺しのみに適用されたものである。
また滝壷に信者を投げ込み、浮き上がってくると竹竿でつついて沈め最後には溺死させるような刑罰も行われた。
熊本県人吉市瓦屋町には「与内山の首塚」が残っている。浄土真宗の講のオルガナイザーだった伝助という人物の首塚と伝えられる。伝助は地元から京都の本願寺に志納金を納めに行く途中裏切りに会い捕らえられ、打ち首獄門に処せられた。伝助の愛弟子であった秋山和七郎がその首を盗み出し、自分の地所に埋葬したのがこの首塚であると伝えられる。
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薩摩では明治元年(1868年)、廃仏毀釈が行われる。それは徹底的なもので寺という寺が破壊され、神社に変えられた。その結果、真宗以外の仏教各派も著しく勢力を後退させた。明治9年(1876年)には真宗禁制がとかれるが、西南戦争が始まったため事実上の解禁はその後になった。旧人吉藩の実情も同様であった。
実質的な真宗解禁後、仏教空白地域とでも言うべき状態となった旧薩摩藩地域において、浄土真宗本願寺派は猛烈な布教を行い、結果、鹿児島県は維新前とは一変し、かえって浄土真宗一色になった。しかし、解禁後も新しく出来た本山主導の寺と隠れ念仏のネットワークの間にはさまざまな軋轢があったという。