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下総の相馬氏は鎌倉時代後期に内紛によって

下総の相馬氏は鎌倉時代後期に内紛によって衰退したものの、室町時代には古河公方家に従属して守谷城を本拠地として再興した。だが、戦国時代には北条氏に付くかどうかで分裂し、反北条派である庶流の相馬治胤が家督を奪った。だが、治胤は北条氏に降伏後、小田原の役で同氏に属したために改易、江戸時代には子孫が旗本となっている。

奥州の相馬氏は、南北朝時代の初期は南朝が優勢な奥州において数少ない北朝方の一族として活躍したものの、南北朝の争乱が収まるとやや衰退し、室町時代後期に標葉氏を滅ぼしたものの、それでもなお、戦国時代初期には、行方郡・標葉郡・宇多郡の三郡を支配するだけの小大名に過ぎなかった。しかし、武勇に秀でた当主が続き、更に独立心が旺盛で、奥州の大名・伊達氏、更に関東の雄・佐竹氏に対しても一歩も退かず、伊達氏とは三十度以上にわたって抗争を続け、たびたび苦杯を舐めさせている。やがて伊達氏に伊達政宗が現われ、南奥州の諸大名が政宗の軍門に悉く降った時も、相馬氏は敗戦したとはいえ、独立を維持し伊達氏と戦う意地を見せたという。そして1590年、豊臣秀吉の小田原の役に参陣して所領を安堵された。1600年の関ヶ原の戦いにおいては中立、佐竹氏の先代で隠居していた佐竹義重による徳川方への派兵に対しては領内の通過を認める。このため、戦後徳川氏により改易の危機を迎えたが、これを凌ぎきり本領安堵にこぎつけて近世大名として生き抜くことに成功した。

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名としての意地を思わせる相馬野馬追が、現在でも行なわれ、後世に相馬氏の勇壮さを示しているが、一説には、これが、いわゆる「繋ぎ馬」の紋の原型になったとも云われる。第十三代・相馬因幡守誠胤は、明治時代のスキャンダルである相馬事件(相馬騒動)の発端となった人物でもあった。これは、後に精神病者監護法の成立に影響し、実質的に座敷牢の合法化として機能し、民政に大きく影響した。第三十三代当主和胤は、麻生太郎内閣総理大臣(92代)の妹雪子の夫である。

なお、「繋ぎ馬」の紋は、現在、築土神社や神田明神など、平将門を祀る諸社で社殿の装飾等に用いられている。

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2009年06月05日 11:32に投稿されたエントリーのページです。

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