日本軍はラバウルからブカ島まで
日本軍はラバウルからブカ島まで潜水艦と駆逐艦で補給物資を輸送したが、量は微々たるもので絶望的に足りなかった。しかも輸送部隊はしばしば航空機などの攻撃を受け、1943年11月24日のセント・ジョージ岬沖海戦では鼠輸送にやってきた日本艦隊が大打撃を被った。かくて1944年2月にはついに補給は途絶えてしまった。食料は日ごとに減少していった。各地の部隊は畑を耕して芋を収穫したがやはり量が十分ではなく、椰子の実やそのコプラなど食べられるものは何でも食べたが栄養失調の兵士が続出し、餓死者やマラリア患者などがバタバタと倒れていった。とくに蚊によって媒介されるマラリアは猛威を振るい、栄養失調のものから次々と感染して体力を奪われていった。医療品は望むべくも無かった。ガダルカナル島の「餓島(がとう)」に対して、ボーゲンビル島の「墓島(ぼとう)」と呼ばれる状況であった。
このような状況でも畑の耕作は続けられた。多くの兵士は農家の出身だったので、ついにまとまった食料を生産することに成功した。多くの兵士が飢餓や栄養失調で命を落とした為に食糧消費者の絶対数が少なくなったこともあり、食料自給率は全部隊を養えるまでになった。
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アメリカ軍はフィリピンへ戦力を集中するため、ソロモン諸島の作戦をオーストラリア軍の第1軍に委ねることとした。ブーゲンビル島でも1944年10月から12月にかけてタロキナ岬の航空基地に駐留していたアメリカ軍部隊が転進し、替わりにオーストラリア第2軍団を配備された。第2軍団は第3師団(第7、15、29歩兵旅団基幹)と第11旅団を主力とし、これにフィジー歩兵連隊が増強されていた。さらに第23旅団が周辺島嶼に展開した。